戦いの跡残る未承認国家を、北から南まで 【トランスニストリア/沿ドニエストル】    | Русско⇄Японско

戦いの跡残る未承認国家を、北から南まで 【トランスニストリア/沿ドニエストル】   

by Uenishi Yukie / Уэниши Юкиэ 9/11/2018 カテゴリー


未承認国家”トランスニストリア”(※)モルドバ東部の地域だと見られているー。

その存在は広く知られておらず、ともすれば危険な地域なのではないかと考える人も多いかもしれない(※)。詳しくは前の記事にて。https://russko-yaponsko.blogspot.com/2018/09/blog-post.htmlたしかに、国際的にはモルドバの領土内だと位置づけられていながら、モルドバ政府の統治下にはないことを見れば、その認識もあながち間違っているとは言い切れない。しかしながら、私が見たトランスニストリアは第二次世界大戦や、モルドバとの紛争等の痕跡が残されつつも、素晴らしい景観の地域だった。



9月1日、北はカメンカ、南はティラスポリまでを11時間かけて観光してきた。今回は万全を期して、観光ツアーに参加することに。このツアーは本来、複数人を対象としており、キシニョフ市のバス乗り場等が集合場所として設定され、専属の運転手によってティラスポリまで運ばれる。しかし、1日の参加者は私1人。日程の変更を促されたものの、どうしても1日、1日がダメなら2日で……と、藁にもすがる思いで懇願したところ、たった1人でもツアーを行われることに。それも、自宅からティラスポリまで送迎をしてくれるというのだ(※)送迎料金は別途上乗せ

当日の朝7時20分、運転手が迎えに来た。恰幅のいい、気のよさそうな男性だ。旅の相棒として認識しつつ、どんな旅になるんだろうかと胸が躍った。

少しだけ説明しておくと、このツアーはティラスポリから始まり、3時間ほど離れた北方のカメンカ市へ向かう。それから、ラシュコフ村、カテリノーフカ村、ストロイエシュティ村、リブニッツァ市、ギディリム村、ドゥバサリ市、グリコリオポール市と南下。そしてティラスポリへと戻ってくるというルートになっている。

さて、徐々にトランスニストリアの国境(※)トランスニストリアが独自に設定しているものに近づき始めた頃、警察の検問のようなものが見えた。さらに進んでいくと、先の相棒が声をかけてきた。「ここに、ロシアの監視者がいるんだ」。左手を見ると、確かに建物が見える。相棒は重ねて、「写真は禁止だよ」と釘を刺してきた。どんな刑罰があるのかはわからないが、とにかくこの辺りで撮影はできないことがわかった。

そして、入国審査をする建物に到着。車を降り、パスポートを持って運転手と中に入る。ここで色々な手続きを……? と不安になりつつも、運転手に促され担当者にパスポートを渡すと、名前の正しい発音を聞かれただけで、白い紙を渡された。



本来であれば、10時間以上の滞在は別途申請が必要のようだが、今回はツアー会社側の手配によって、特に何かを記入したり、提出したりすることもなく入出国ができた。

再度車に乗り込み、ドキドキしながらティラスポリの街へ。レーニン像や戦争に関するモニュメントがそこかしこに並んでいる。

街中で停車した相棒は「到着だ」と言い、車を降りて一服。まだティラスポリだが、歩いて観光するのだろうか……。そんなことを考えていると、もっと若い、白いTシャツに短パン姿の男性が相棒に話しかけてきた。そしてこちらを見て微笑むと、自己紹介を始めた。どうやら最初の運転手は迎えだけで、別のガイドがいたらしい。挨拶を済ませると、車を乗り替えて旅を再開。

カメンカに向かう途中、ガイドがしきりに「ウニカ! ウニカ!」と叫んでくる。まさか、珍しいオブジェでもあったのか? と思い外を見ても、何もない。見逃した。完全に見逃した。最初から何かを見逃した。間が悪い人間だと思っていたけど、まさか大事なものを見逃すほどだったか……と呆然としていると、また彼はウニカを連呼してくる。何なのか質問をすると、どうやら私の名前を間違えていただけだった様子。なんだか楽しい旅になりそうだ。

ハイウェイでスイカ等を売っている人々が多いことに驚く。

車からなので見切れてしまったが、「Я люблю ПМР(※)私はトランスニストリア(沿ドニエストル)を愛している」という文字がハイウェイに現れた。

”自然の国境”と呼ばれるドニエストル川。ガイドがビューポイントを教えてくれる。



地域ごとに、といっては過言ではないほど、レーニン像が設置されている。


第二次世界大戦や、モルドバとの紛争等、戦争に関するモニュメントも多い。


また、正教会やカトリック教会等、教会も見られる。ガイドが言うには、この日は「ウェディングデイ」だったようで、結婚式の風景も見られた。この地域に限ったことかわからないが、新郎新婦やその親族、友人、知人が乗っている車とすれ違う際は、盛大にクラクションを鳴らす習慣があるという。ガイドも歓声をあげながらクラクションを鳴らしまくっていたが、正式なものかどうかはわからない。


サッカースタジアムがあり、観客席も設置されている。この日は数人の子供たちがサッカーを楽しんでいた。


個人的に、最も衝撃を受けたのがシナゴーグ(※)ユダヤ教会だ。第二次世界大戦の時に破壊されたものだという。当時の惨劇が、ここにはありありと残されていた。

今回の観光ですべてが見られたわけではないし、ご紹介できるのもほんの一部のことしかない。しかし、未承認国家という響きのおどろおどろしさとは裏腹に、歴史的な建造物や、戦争のことを学ぶ手がかりとなるモニュメント、そしてその土地の生活を垣間見ることができる絶好の機会だったと感じている。

まだ見るべきものはたくさんあると思うので、また近々、訪問する予定だ。

観光ができたのは、”TRANSNISTRIA TOUR”(※)http://transnistria-tour.com/ru/のおかげだ。また、トランスニストリアではロシア語での対応がほとんどだが、ロシア語を話せなくても、担当者のAndreiは英語でも対応してくれる。興味がある人は、サイトの情報だけでもチェックしてみてほしい。
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Uenishi Yukie / Уэниши Юкиэ

Developer

1992年11月17日、東京都出身。大学時代にロシア語を学び、現在は東欧へ移住。

Я родилась в районе Токио в Японии, в 17.11.1992 г. В университете 4 года занималась русским языком. Сейчас я живу в Восточном Европе.