「オクトーバーフェスト」について、知っておくべきことは? ー 後編【リトアニア】 | Русско⇄Японско

「オクトーバーフェスト」について、知っておくべきことは? ー 後編【リトアニア】

by Uenishi Yukie / Уэниши Юкиэ 9/24/2018 カテゴリー


「オクトーバーフェスト」について、知っておくべきことは?ー 後編

Литовский Курьер

1. ミュンヘンの”オクトーバーフェスト”では、世界で最大のビールのお祭りというだけでなく、国際的なお祭りである。

2. ”オクトーバーフェスト”へは2週間で、600万人以上が訪れる。これまでの記録としては、1981年に約700万人が訪れた。

3. このお祭りはバヴァリア民族の飲み物にではなく、結婚式に感謝するものだ。つまり、ビールにではなく、1810年に行われた未来のミュンヘンの王である皇太子ルートビッヒ1世と王女テレザとの結婚式に対して。

4. ”オクトーバーフェスト”の最も熱狂的なファンでさえ、おそらく花嫁のフルネームを知らないか、言うことはできないだろう。しかし、私たちは試してみよう。”テレーザ・シャルロッタ・ルイーザ・フリデリカ・アマーリヤ・サクセン=キリドブルグガウゼンスカヤ”。

5. ルートビッヒとテレーザの結婚式を讃えた1週間。乗馬による小旅行によって祝賀は終わった。この馬が連れて行く場所は、ミュンヘンのはずれだった。

6. 1810年10月7日、この地には約3万人が集まった ― 当時、ミュンヘンには約4万人の住民がおり、大多数の住民が集まったのだ。バヴァリアの王位継承の結婚式、国民のお祝いは成功を収めた。国民は大喜びしたという。

7.  翌日、テレーザの夫の父、つまり当時のバヴァリア王マクミシュラン1世は、花嫁に敬意を表して、この地を”テレージエンヴィーゼ”と命名した。そしてまた、王朝におけるこの喜ばしい出来事についての記憶のままに、毎年この場所で小旅行を行うというアイデアを提案した。

8. その翌年の1811年にもお祝いが行われた。それも、2日間にわたって。年々”オクトーバーフェスト”の規模は拡大していき、それはミュンヘンの人々の性に合っていた。

9. 1818年、”オクトーバーフェスト”の地域に住む人々の楽しみのために、初めて回転木馬が置かれた。これは的確な措置だった。今、ここには約170種のアトラクションがある。観覧車から、ジェットコースターまで。

10. 2世紀以上の間で24回開催されてきた”オクトーバーフェスト”は、極めて精進的に行われている。初めて中止されたのは1813年、ナポレオンの占領のためである。1873年はコレラにより、1923年はハイパーインフレーションにより、そして1914年から1918年、1939年から1945年は世界大戦のために中止された。

11. 当時の”オクトーバーフェスト”の伝統は、19世紀末に形成された。そのとき、この2日間にわたるお祭りはより、9月、あるいは10月の最初の休日にだけ行われる決まりだった。

12. ”オクトーバーフェスト”での二輪馬車の旅は、すでに長いこと行われていない。しかし、民族衣装のグループや木製のビール樽が積まれた馬の運送が参加する豪華なパレードで、お祭りはスタートする。

13. 実際には、以前から木の樽に代わって大きな鉄制のタンクが使われている。1万の来場者が入る最も大きなビールのテントでは、連続的な供給のためだ。”オクトーバーフェスト”では、250メートルの地下のパイプが設置された。

14. このパイプによって、”テレージエンヴィーゼ”に隣接する10万リットルの巨大なタンクから、4度に冷やされたビールが運ばれる。

15. その他のテントでは、3000から1万2000リットルのビールがタンクから運ばれる。ビール醸造所からこの場所までビールを運ぶために、1回のフライトで9時間かかる可能性があるからだ。

16. ”テレージエンヴィーゼ”では”オクトーバーフェスト”のために、14店の大きなテントともう少し小さい出店が20店ほど並ぶ。

17. すべてのビールのテントと出店には、同時に約12万人が訪れることができる。

18. ”オクトーバーフェスト”は国際的なお祭りだと認められているが、外国からの来場者は20%に満たない。大多数はミュンヘンかその郊外に住んでいたバイエルン人だ。

19. 外国からの来場者の中心は、アメリカ、イギリス、オーストリア、フランス、スイス等。主催者のデータによれば、昨年は65ヵ国から来場があった。

20. 10億ユーロ ― それだけの金額を、2週間の来場者は”オクトーバーフェスト”で遣っている。ビール、焼いた牛肉や子牛肉、ホテル、タクシー、公共交通機関、ショッピング、お土産、アトラクション、その他必要経費や雑費への支払いだ。

21. 約10年前、ある経営者が”テレージエンヴィーゼ”と大きな風俗の紹介所の間に、自動艦隊のシャトルを置きたがった。しかし、次の瞬間、当局は決定を下した。この提案を許可されなかったのだ。

22. 一般の家庭における家賃について、何か言うことはできないが、”オクトーバーフェスト”期間、ホテルの部屋の料金はほとんど2倍に上がる。昨年、ホテルは料金表を作成し、平均して1部屋280ユーロほどとなっている。

23. ”オクトーバーフェスト”の会場では、宣伝活動やロビイストは禁止されている。2006年、セレブとして知られるパリス・ヒルトンが、この規則を破った。彼女はアルミ缶のビールを宣伝しようとしたのだ。

24. もちろん、現在は”オクトーバーフェスト”でシャンパンを見つけ、飲むことができる(1杯あたり140ユーロ。普通のシャンパンなら40ユーロ)。しかし、ワイングラスであり、アルミ缶のものではない。それにビールは、ずっしりとした1リットルジョッキで飲めるというのに。

25. ”オクトーバーフェスト”のために、特別なビールが生産される。そんなに度数は強くなく、伝統的なものだ。そのビールの1リットルジョッキは痴呆の輸出業者から送られ、小さなウォッカの杯8杯分と同等の扱いとなる。小さな杯と言えど、確かに色々な種類があるが ― 調査されはしないだろう。

26. 来場者のビール量の記録は、2017年の770万リットルだ。つまり、平均して1人あたり1、2杯は飲んでいる。

27. 2018年、1リットルジョッキのビールは10.70から11.50ユーロほど。2002年、ここではドイツの通貨マルクの変わりに、共通のヨーロッパ通貨での支払いが始まった。ジョッキ1杯は6.30から6.80ユーロで、ずいぶん昔の1971年には3マルク以下だった。

28. ビールの泡が落ち着いたら、ビールをジョッキいっぱいになるまで注ぐよう要求してみてほしい。”オクトーバーフェスト”では約100ミリリットルのビールが、注ぎ足りていないことがある。2週間における注ぎ足りていない約540万ユーロ分のビールがあり、消費者の権利の守護者たちは、この気前の良い規則を守ろうとしてくれるだろう。

29. ドイツではこれまで、過去のバヴァリアの首相であるギュンテル・ベクシュテインの言葉が思い出されている。2008年、彼は真剣に、2リットルのビールを飲んだ後は、完全に自動車で家に帰れるよい、ゆっくり、7、8時間かけて飲むようにと述べたのだ。

30. 重要な情報は、”オクトーバーフェスト”の来場者にとってだけではない。ドイツでは運転手0.5パーセントのために線引きがあるのだ。事故発生の場合、0.3パーセントの呼気アルコール度数は罪が重くなる原因となる。

31. 2回目の来場者は”テレージエンヴィーゼ”まで、約3万人の乗客を乗せた汽車でたどり着く。ローカル線(S-Bahn)でのみ、1日で10万人がたどり着ける。また、”Deutshe Bahn”の時刻表では、この時間、約500本の臨時列車が走らされる。

32. バヴァリアの言葉は難しい。”オクトーバーフェスト”では、あなたはどこにでも「Wiesn」という言葉に出会うが、驚かないことだ。これはミスではなく、バヴァリアの変形語で「野原(Wiese)」。「野原へ行く(Auf die wiesn geren)」は、「オクトーバーフェストへ行く」を意味する。

33.  お祭りでは、約1万3000人が働いている。ウェイター、バーテンダー、料理人、警備員、アトラクションの操縦係などだ。

34. どのウェイターも、交代で平均約10キロほどの距離を歩く。平日は1日約100杯分の1リットルジョッキを運び、休日は300杯ほど。さらに他の飲み物や様々なな食べ物、たとえば焼き串(10から12ユーロ)やソーセージ(7、8ユーロ)等だ。

35. ウェイターは1回につき、10から12敗の1リットルジョッキを運ぶ。空のジョッキは少なくとも1.3キログラムで、それぞれにビールを1リットルずつ入れると27.6キログラムになる。

36. ウェイターのなかで、重いものを持ち上げ運ぶことに対するチャンピオンがいる ― オリバー・ストゥルムフェルだ。2017年、彼は自己記録を更新。ウェイターの審査員は、29杯のジョッキ、全部で70キログラムを運んだと認めた。実際には、彼は2度ジョッキをひっくり返していたのだが。

37. ウェイターの2週間の重労働に対する平均賃金は、チップも含めて約5500ユーロだ。

38. 1956年から、お祭りのうち1日の朝に、カトリック教の祈祷式が行われる。最初に、ここでの労働者のために祈られる。式の参加者は祈るだけでなく、子供に洗礼を受けさせることができ、子供たちは最初の聖体拝領式を受けられる。

39. ”オクトーバーフェスト”で働く大勢のスタッフは、2、3週間ほど家族と会場の近くに住む。法に従い、学期中の子供たちは授業を受けなければならない。約40名の生徒は、一時的に近くの学校に通っている。

40. ドイツ郵便財団”Deutshe Post”は、”テレージエンヴィーゼ”に特別郵便局を開いている。”オクトーバーフェスト”の開催期間中、ここでは、約13万の絵葉書、手紙、小包、簡易小包が処理されている。また、中にはワインと聖パンが送られることがある。

41. 数年前、ごみを減らすために使い捨て容器を断った。その後、ごみの量は半分に減らされた ― たとえば120トンまで。

42. 600万人が訪れるお祭りにはトイレが必要だ。オクトーバーフェストの会場は基本的に複雑だが、約900の共同トイレと、来場者が利用可能な約1000の個室が設置されている。

43. してはいけない場所で用を足そうとする人は、1000ユーロ以下の罰金が命じられる。もしも運が良ければ、わずか100ユーロで済むが、警察はすぐに必要な金額を支払うよう命じるだろう。

44. ”オクトーバーフェスト”では、体調が悪くなったときに助けてもらえる場所、医務室がある。ここでは、交代で医師15人と看護師150人が待機し、付き添ってくれる。期間中、全部で約2300名がおり、彼らは自発的に働いている。

45. 2017年、”オクトーバーフェスト”の医療援助が約7000人に対して行われた。そのうちの半分が衛生に関する援助、その他の半分が医師の助けが求められ、緊急外科手術は1883件となった。

46. 医師たちにおける記録は、2017年のものが最多だった ― 28回の出動命令と、緊急支援のリュックと担架を担いで32キロメートルの距離の往復だ。

47. 2017年の急性アルコール中毒者数は670名、そのうち16歳未満の未成年者が10名だった。こういった患者の多くは、1、2時間で医務室を去ることができた。

48. とんでもない量のビールを飲んだ来場者は、他者からの視線からカバーで守られた特別担架で医務室へと送られる。人々の間でこの担架は、「バナナ」、「草原のタクシー」、または「黄色の棺」と呼ばれている。

49. 大はしゃぎして飲みすぎたある来場者たちは、持っている服を色々な方向へ投げながら、服を脱いだ ― 生まれたままの姿になったのだ。 ”オクトーバーフェスト”では、このような情けない展示に対し、使い捨てズボンが投げられる。

50. 記念品としてのジョッキはお土産売り場で購入することができるが、中にはテントから勝手に持ち去り、無料で飲む来場者もいる。およそ12万から13万回、警備員がこのような酒飲みを未然に防いでいるが、ある年は20万回にも及んだという。

51. 2週間にわたる来場者たちは、焼き串で調理された120頭分の牛肉、60頭分の子牛肉、豚のソーセージ35万本、ソーセージの2倍の量の焼いた鳥、ビーフロール8万本を食べ尽くす。数は年々変わるものの、インパクトのある数字が叩き出される。

52. 前回の”オクトーバーフェスト”では、5人の子供たちと14人の未成年が迷子となり、両親のもとに戻された。最近では、携帯の普及により迷子は少なくなっている。

53. 2017年、遺失物保管所では、4000以上の物品が届けられた。1300部の書類、620着のコート、600個の財布、520台の携帯電話、鍵や雨傘、カバン、カメラ等だ。約1000もの遺失物が、持ち主のもとに返されてた。

54. 2017年に届けられたもののうち、2つの船のオール、チャイルドシート、砂糖の計量器、杖、2つの婚約指輪、自動車のナンバープレート、テナーホルンが届けられたことはよく知られている。

55. この地の住民のすべてではないが、大はしゃぎからは程遠い。”オクトーバーフェスト”の期間、約2万7000人が町から離れるために、特別に休暇を取りさえする。

56. ”オクトーバーフェスト”の会場では、テントのための場所が限られている。設置使用権は200万ユーロだ。しかし、主催の誰かがお祭りへの出店を中止した場合にのみ、その権利を買うことができる。待ち時間は ― 20年だ。

57. ”オクトーバーフェスト”は、ミュンヘン市長が約200リットルのビール樽の栓を抜いた後から、公式な開催と認められている。栓抜きは、ビールを注ぐために特別な木のハンマーで栓を叩き込む。

58. クリスチャン・ウデ(2005年、2008年、2013年)が最速で栓を開け、ディテル・アイテル(2015年、2016年)も同様に速かった ― 2度の巧みな打撃で。最も打撃数が多かったのは、1950年、トーマス・ヴィミェールによるもので、セレモニーの前半部分の時間を必要とした。

59. 栓を叩き、最初のジョッキを満たしたら、泡がなくなるのを待たず、ミュンヘン市長は大声で「O'zapft is!(※)酒だ!」と叫んで、お祭りの開始を人々に知らせなければならない。1970年、ある町長は恥をかいた ― 大声で「I'zapfit os!」と叫んだのだ。このことはいまだに思い出されている。

60. 1896年、”オクトーバーフェスト”の準備期間中、17歳のアルベルト・アインシュタインがここで働いていた。未来のノーベル科学賞受賞者が、彼の父でドイツの電気技術のパイオニアの一人であるヘルマン・アインシュタインの会社のランプを回していたのだ。






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Uenishi Yukie / Уэниши Юкиэ

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1992年11月17日、東京都出身。大学時代にロシア語を学び、現在は東欧へ移住。

Я родилась в районе Токио в Японии, в 17.11.1992 г. В университете 4 года занималась русским языком. Сейчас я живу в Восточном Европе.